近い将来、
コアスタッフィングを担う人々へ
よく私は起業当初、型破りなことがしたいと息巻いていた。
それが悪いことだとは全く思わない。
今では型破りの手順がより一層重要だと思っている。
型を破るためにはその「型」をまずはできる限り知らなくてはならない。
そうして初めてその「型」を破ることができる。
一番初めのステップである現状の型を知るというのが人気のないステップかもしれない。
既存の型のメリット、デメリットを知って、自分が提案する型の方がより多くのメリットとより少ないデメリットがあると提案する過程が議論だと思う。
でも、どんなに勤勉に既存の型を研究しても知り尽くすことは不可能だし、自分の意見を検証しつくすこともできないから、自分の意見は結局のところ未検証の仮説にとどまることになる。だから、どこかの段階で、これを勇気をもって議論の場所に投げ込む必要がある。無謀か勇気かの差は初めの準備の量かもしれない。
自分の中で妥当だと思った意見でも、客観的に妥当とまで主張できる人はあまりいない。
私は、幸いにもそんな才能に恵まれなかったから、自分の中で妥当だと信じたら議論の中に投げ込むようにしている。もちろん、その後に来る「批判的な局面」で自分が提出した意見が無残にも議論の中で妥当でないとわかるときもある。
試行錯誤は結局のところ、既存の方法論や型を学んだ上で、自分の意見(未検証の仮説)を提出することから始まる。確実な方法論なんて誰も知らないから、それはあくまでも個人的に妥当な意見であるが、それが議論の始まりである。
PDCAサイクルも同じで、Plan(計画)の段階は、ありうる可能な未来を示しているのだと思う。つまり予想・推測だし、期待や可能性だ。それがDo(実行)の段階を経て、Check(検証)の段階で、初期のプランを批判的に取り扱い行動修正を計画する。そしてAct(処置行動)。そしてPlan(再計画)にもどってスパイラルアップしていく。
このPDCAサイクルも、サイクルと言っている以上、初めの段階のPlanに絶対的な確実性を要求していない。(計画は適当でよいと言っているわけではない。)
つまり、失敗を見越している。失敗はより良い手法を手にするための重要な1つのステップに過ぎないと考えている。そして、計画とのズレ、予想・期待とのズレをむしろ待ち構えている。
「予想・推測」とのズレを発見した後に来る「再適応」が、PDCAサイクルの意味するものだということになる。
だから、